先日、それほど親しいわけではない、けれども身近な人が亡くなられた。
死因については詳しくは知りませんが、
事故が原因(どんな事故かも知りません)だということです。
こういった場合残された親族の方々にどう接したらいいか困るわけです。
僕は故人とは確かに知り合いではあるけれど、
数回会話した程度のおつきあいですので、
親族の方々の絶望感/喪失感とはちょっとした隔たりがあるんですよね。
いっしょに悲しめたら一番いいんだろうけど、
本当にそこまでの思い入れがあるのか? と問われてしまうともう駄目。
正直、かなり他人事だと思っている。
僕も事故に気をつけなきゃな、と他人のふり見てなんとやらな気分だったり。
いや、別に悲しくない、というわけではないよ。
ただ、とても若くして突然に亡くなられたので、
なんだかなあ、っていう空虚な気分に支配されてしまったのです。
日頃、「みんな死ぬんだから死ぬのは当たり前、生きているってことが特別なんだよ」
みたいなことを思っていても、事故死って聞くとなんだかなあ、な訳。
正直、かける言葉がないです。
そういった意味で、香典だとか、弔電だとか、
お通夜/告別式というシステムはかなりよくできているんだなあと思った。
変にナーバスなもやもやした気分を祓うためのシステムなんだと実感した。
やっぱり弔いっていうのは生きている人のためのシステムなんだね。
人間は感情がものを言いすぎる生物ですので、
こういったときには機械的に処理する、されるっていう方が楽なんだなあ。
法律もそうじゃない。結局心情で判断できないから理で持って解決するわけで。
いろいろ杓子定規に見えるようでも、なにかしら合理性があるんだってことなんだね。
それにしても、事故で亡くなられた故人に「かわいそうだなあ」としか思えないことが残念。
それまで楽しいことも、幸せなことも数多くあっただろうに、
ただ、不意の事故で命を失っただけで「かわいそうな人生」とくくられてしまうのは本当に残念。
死んだらいいわけできないから、故人は「かわいそう」って言われっぱなしなんだよな。
けれど、やっぱり事故だからそう思うんだろうね。病死だったらまた別なんだろうな。
これいい曲だわ。中島みゆきはすげえ詩人だわ。
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