勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
『勧酒』 于武陵
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ訳:井伏鱒二
井伏鱒二の名訳で知られる『勧酒』である。
つい最近、Web上で知りふと思ったことがあるので書いてみる。
さよならだけが人生だ、という言葉自体はなじみのある言葉だった。
語呂がよく(七五調)、なにより単純に受け取ると実にニヒリズムにあふれた言葉、という印象。
そしてそのインパクトから、前後の文脈からは断絶され、ネガティブでニヒルなだけの印象となっている。
僕にいたっては、「サヨナラ」ダケガ人生ダ の前に言葉が続いていて、そもそも詩をなしている、
一パートであることすら知らなかった。
けれども井伏鱒二の訳文を全文読んでみたら、ニヒルなんかではなく、ただのネガティブなわけでもないことがわかった。
そこにあるのは、友の栄光を願い、辛いはずの別れを笑って見送る強さであった。
いってみればポジティブ。別れなんてなんともない、と言い切ってしまうポジティブさがここにあった。
そこに気付いたときにやはりあの二人のことが頭に浮かんだ。
そう甲本ヒロト、真島昌利の二人である。
再三申し上げているように、ヒロト・マーシーの詩の良さはネガティブの行き過ぎで、
限りないポジティブを言葉に乗せることである。
うんざりなんてしてて当たり前
絶望なんてしてて当たり前
あきらめるのは簡単だ
簡単すぎてつまらない
イェー 腰は大丈夫一人で大人一人で子供 詞・真島昌利
この世にはどうしようもないことは山ほどある。
思い悩むことは大事だが、どうにも解決できないことはどうにも解決できないのだ。
そのことに気付いた後、人間は強くなるのだろう。
ネガティブの行き過ぎがポジティブになる、と僕が表現しているのは、
足るを知ること、と言い換えてもいいかもしれない。
僕らにとって大事なのは、権力かもしれない。肩書きかもしれないし金銭的な余裕かもしれない。
そして、それらを行使/享受できるのは生きているからに他ならない。
だからこそ僕らは生きていなければならない。だから他人をむやみに傷つけたりしてはいけない。
なにより、自らを傷つけるようなことはしてはいけない。
僕らは必ず死ぬのです。
死ぬことからはじめよう、と僕がいつも思っているのは、
生きていれば万事オーケー、の裏打ちとしてそう思っているからであり、
その修辞法は上記の作品群のような、文学詩的な心から来ているのだ、と考えている。
詩は誰にでも読めて、誰にでも書けるものだ。
詩人には誰だってなれるのだ。
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