よくわからずに思ったこと、感じていたことを連ねました。
勘違いも甚だしいーな記述があるかもしれませんが。ご一笑ください。
なお引用部に関しては、レイアウトの都合上、文脈を変えない程度で改行等をほどこしてありますことをご了承ください。
文体や語感、リズムを重んじる方はぜひ引用元へどうぞ。
私は、言語に二つの相反するものを期待している。一つは、「たいていのことがサクっと当たり前に出来る」こと。
Larry Wall が言うところの「殺速性」(whipuptitude)だ。これがないと書いてて疲れてしまう。大リーグ養成ギプスを常に着たまま生活したい人などいるのだろうか。星飛雄馬本人だっていやがってたのに。しかし、それだけじゃ私には物足りない。「言われなきゃ思いもつかなかった言い回しをその言語の範囲内で言う」、複殺性(manuplexity)も必要なのだ。皮肉ではあるが、これがないと複殺なものは複殺なままなのだ。
Perlの偉い人のブログを読んで「あー、だから自分は Ruby を選んだのか」と思った。
プログラミング言語にはそれぞれ個性があって、その個性は入門書にまで "(同一言語なのに)記述の統一性のなさ" という形で表れる。そしてそれは僕の中で、プログラミング学習のハードルになっていたのだ。Ruby に会うまでは。
Rubyのよさ。
それは Ruby はなんていったて入門書が たのしいRuby 第2版 Rubyではじめる気軽なプログラミングしかないでしょう。
この選択肢のなさはある意味魅力だったわけ。他の人が書いたソースもこの本の流儀に則ってる可能性が高いだろうから理解しやすいんじゃないかって。
実際に Ruby をやってみると、each の気持ちよさが何とも言えなかった。
流れ作業丸出しな感じ。これが気持ちよかった。
想像するならばめんどくさがりの上司が、たまりにたまった書類に承認印をめくらめっぽう押す感じ。ティッシュ配りのアルバイトが、誰彼かまわず「お願いしゃーす」と配っている感じ。脊髄反射なのに惰性でダルダル、素早さなんて微塵もない感じ。まじでさいこー。
この感じを得られたのは幸運だった。プログラミングって流れ作業を微分することだったんだ、と気付いた。
この気付きを Perl でも得られたのか、Python でも得られたのかは謎である(そう、C では得るところまで理解できなかった)。
まだ、Ruby で満足に機能するものを作り上げたわけではない。
でも、とにかく気付きを得られたこの一点だけで Ruby が存在し Ruby と出会えたことに感謝している。
追記:2008/06/25 Ruby に関して、入門書が~しかないでしょう、って書いてしまいましたが、単純にそれしか知らなかったってことなんですよね。これは誤解を招くなあ。
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